100回目の折り紙

おばぁのつぶやきです。

「不幸」って何?

「不幸」って何だろう?

何と比べての「不幸」?

 

自分は不幸だ、そう思っているのは

他の人と比べて?

そのほかの人って、どんな人?

 

上を見ればキリがない。

下を見てもキリがない。

 

例えば、発展途上国の田舎町にいって、

そこの生活に驚くかもしれない。

数件で使う共同井戸から毎日水を運ぶ。

それでも、そこで暮らす人にとって

井戸が存在することが幸せ。

都会で生活する人は、かわいそう、不便と思うかもしれないけれど、

そこで暮らす人にとって、

家の近くで水が手に入ることは幸せです。

 

私は「不幸」を感じるのは、

その人が何を基準に「幸せ」を決めているかだと思います。

そこに「感謝」という大切なポイントがあります。

 

「感謝」という気持ちは、「不幸」という感情を塗り替えることができます。

生きていることへの「感謝」、

経験できることへの「感謝」。

 

つらいこと、悲しいこと、その中でも「感謝」があれば、

強く生きることができます。

 

「不幸」とは、感謝を忘れた心です。

 

 

つぶやきの正体

つぶやきは落書きみたいなもの。
書かれた言葉には表と裏がある。
見栄と本音、
優しい嘘と言葉にすることへのためらい。
 
顔が見えたら言えないこともあるんだよね。
 
そこには夢や憧れがある。
失望と隠された涙がため息まじりに存在する。
 
後戻りできない道、
重くなる足を引きずり、
ふと目にした地面に咲く名も知らぬ花。
誰にでも微笑みかけることを思い出させてくれてありがとう。

小さな雑草はなかなか強いんだよ

頭の中で正しいことがわかっているのに、
心の中にある我がままな欲望を野放しにすると、
頭は欲望の正当性を探し始める。
 
悲しいかな、なかなかそのことに気づかないのが本人なんです。
そういう時は、人からの忠告も耳に入らない。
 
見守るしかないかなぁ。

自慢話

自慢話は自己肯定としてみればいいことだけど、

 

そこに、周りを見下す気持ちがあるなら、

 

やめたほうがいい。

 

聞かれたことにだけ答える程度がいいよ。

 

その人に人望があるかないかくらい

 

見ていればわかるもの。

愛しすぎることは、自由を失うことにもなる。

  何かを愛するってことは、

  自分の目に一枚のベールをかけるようなもの。

 

  我が子を愛する気持ちは、そういうもの。

  特別な感情がある。

  子離れするとは、そのベールを取り外してしまうこと。

 

  一人の人を愛することも同じ。

  そこに生まれる楽しさも不自由さも

  受け入れることで、

  相手に荷を与えることではない。

  何も言わない相手の気持ち、

  そこに自分の気持ちを優先させることは、

  荷を負わせることになる。

  難しいね。

 

  私は自分の気持ちを文字で伝えることはできても、

  言葉では苦手。

  だから、毎度のことながら相手は

  自分が何をしても100%受け入れられていると勘違いしてしまう。

 

  そんな状態になると、

  私は目の前のベールを外す。

 

  それは私の自由への逃亡なのです。

  愛しすぎることは、自由を失うことにもなる。

  どんな時も、物事には距離が必要。

 「相手の目線に立って」って言うけど、  難しいよね。

 相手に自分の考えや気持ちを伝えたいのに、

 うまく伝わらないこと、ありますよね。

 

 人それぞれ経験や思いが違って、

 理解してもらえないことも多い。

 

 「相手の目線に立って」って言うけど、

 難しいよね。

 

 なぜ難しいかというと、

 相手が何をどこまで理解しているかがわからないもの。

 

 例えば、同じ日本語なのに、

 地方に行くと言葉がわかりにくい経験は誰にもあるでしょ。

 それが世界となると、

 アフリカの奥地に行って、

 日本語で話したとしたら、理解できる人がいるだろうか。

 

 私たちは、小さな子には、小さな子が理解できるように

 話をかみ砕いて話す。

 誰も世界的な研究論文をそのままでは話さない。

 

 雄弁な人は、必要なことだけを話す。

 必要なこと以外はまったく話さない。

 相手が消化不良を起こしてしまうから。

 

 必要な話でも、相手が消化不良を起こさないように

 かみ砕いて与える。

 

 「相手の目線に立って」とはこういうことかもしれないね。

 

 理解できそうにないなら、話す時ではないかもしれない。

 相手があとで考えることができるように、

 一つだけの言葉を投げかけるだけで十分なこともあります。

 

 人は自分が経験しなければ、理解できない感情や理屈があるものです。

 それまでは、上辺だけの言葉でしか返すことができない。

 

 自分の考えに固執しなければ、

 時は多くの宝となる知識や知恵を生み出してくれます。

 

 これが私の思いです。